自分だけが評価されないときー白馬入芦花


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。






なぜ自分だけ評価されないのだろう?

どうして誰も自分を見てくれないのだろう?






このような不安とも不満ともつかない気持ちが湧くことはありますか?





この不安や不満は、人間社会にいれば少なからず感じることが多いと思います。

たとえば多くの従業員を抱える大きな会社であれば、各個人にまで目が届きにくくなることも確かです。

また、特に日本に顕著かもしれませんが、人間社会では特定の人だけを贔屓(ひいき)するといろんなひずみを生じるので、一人の人だけを大きく評価しにくいということもあると思います。





そういった中で、いかに自分のモチベーションを保つか、ということが現代ではますます必要になってきているかもしれません。







白馬入芦花

はくばろかにいる




芦花は白い花です。白い花の中に白馬が入るのですから、同一色で見分けがたい。白芦と白馬とは、白色という点では等しい。この点、平等です。しかし、白芦と白馬とでは質が異なります。この点、差別です。平等をふまえて差別を、差別をふまえて平等を凝視するのです。「等しい」は、A=Bです。平等がこれにあたります。二つ以上のものとくらべて生まれる価値です。「同じ」は対比して生じる価値でなく、物それ自体です。人間も同じです。自分に似た人はいくらあっても、自分はただ一人の存在です。平等即差別、差別即平等は、絶対「一」の尊厳性にまで高められます。白馬も芦花もたくさんある。しかし、このときの芦花も白馬も唯一絶対の存在です。

⚫︎出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)









この禅の言葉は、なかなか難しいと思いました。




周りには自分と同じような人がたくさんいます。

その中で不安や不満を募らせていても、まさに芦花の群生の中で白馬がいなないているようなものかもしれません。

その中で、芦花と同一化している中で、どうすれば良いか。




まずはそういうところに居るのだという自覚が大事かと思います。

自覚をすることで、足場を踏み固めて自分の存在を引き立てればいいのか、芦花から一旦出てしまったほうがいいのか、考えるということが出来るはずです。




すぐに答えは出ないでしょう。でも、自分で考え、自分なりの道をつくっていくことが大事だということも、この禅の言葉に含まれているような気がしています。







あなたは芦花ですか?白馬ですか?








今日も良い一日を。
良螢





[PR]