捨てるのはモノだけじゃない―放下著


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。









あなたは何か自分の信念をお持ちでしょうか?


自分の力で考え、悩みぬいて導き出された強い信念。








たとえば仕事で、苦労を重ねてようやく重要なポジションに着くことができたとします。

それは周りの助けがあったことはもちろんだけど、自分なりに答えを探し、行動し、はね返されてまた悩んで乗り越えてきた、そのような自負の念が当然あると思います。

その中で培(つちか)った経験、まさに骨身を削ってきた経験は、血となり肉となり、いまのあなたを強くし、自信を持たせてくれました。

きっとこれからも、その強い信念があなたを支え続けてくれることでしょう。









さて、自分自身のことを考えるならば、それで全く問題ないのです。

ところが、ポジションが上になってくると今度は人を動かさなければならないことが出てくると思います。

そのとき、自分の強い信念が逆に障壁となって現れてくる可能性があります。










人は自分が思った通りには動いてくれません。

体も頭も別なのですから当然といえば当然なのですが、意外に盲点となってしまう場合があります。

その盲点を引き起こす要因のひとつに”自分の強い信念”があります。








相手は自分とはまったく別の環境で生きています。

当然、価値観も違えば見る視点も違うし、世代が違うということもあるでしょう。

そんな相手に対して自分の信念を押しつければ、拒否反応が出るのは想像に難しくありません。





もしあなたが誰かに、「私は健康のため必ず朝5時に起きるんです。あなたも明日からそうしなさい。」と押しつけられて、素直に行動するでしょうか。

(行動できれば、それはそれで素晴らしいですが!)








なぜ拒否反応があるかというと、相手のことを考えてあげることを置き忘れているからかもしれません。

「どうして朝は嫌なの?夜が遅くなるから?それはどうして?」など、あなたのことを少しでも考えてくれたら、話を聞いてみようかなという気にもなるのではないでしょうか。






つまり一旦、”自分の強い信念を取り外す”ということが必要になってくると思います。

一旦すべて捨てて、相手の立場に立って考えてあげる、相手の言うことに耳を傾けてあげる、こういう姿勢が、結果的に人を動かすために有効であると考えています。








少し話は飛びますが、このことに関連していると思った禅の言葉を紹介しますね。

















放下著


ほうげじゃく




「著(じゃく)」は置字といって命令形の「放下」を強めるためで、「放下」とは、「捨ててしまえ!」です。むかし、中国の厳尊者(ごんそんじゃ)という修行者が趙州(じょうしゅう)和尚に何もかも捨てて、手ぶらのときはどうしたらいいのですか?と問います。趙州の答えは、「放下著」でした。「何も持たぬというその意識をも放棄せよ」という、放下の放下です。名刺の肩書は、肩の荷物の一覧表です。その人は、ときにそれを放下したつもりで「私は、お役に立たぬつまらぬものです」と謙遜ぶりを発揮します。禅者はこれを「卑下慢(ひげまん)!」と打ちのめします。卑下という名の”高慢”を担いでいるからです。

●出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)













実に簡潔な言葉です。

しかし、実際に捨て去るというのは相当に難しいと思っています。

自分自身をつくってきたのは、いろんな経験の積み重ねです。

それを捨て去れと言われても、そうそう簡単なことではないでしょう。








ただ、何か変わらなければならないとき、何かを変えたいときに、とても参考になる考えだと思いました。

たとえ部分的でも、捨て去ることでいろんな執着から解放されることは間違いないでしょう。

使っていないモノを処分する、着ていない服を処分する、それだけでもだいぶ気持ちが軽くなるのではないでしょうか。





このようなことを書いている僕自身、捨てられずにいるモノがとても多いのです・・・^^;。

よく、紙袋を捨てられない人というのを聞かないでしょうか?

それは、僕のことです。。

もうすぐ新しい年。今後は捨てることをもっともっと実践して、より身軽になっていこうと思っています!












今日も良い一日を。
良螢







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