大事にしていたものが機能を失ったときー破草鞋


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。








普段愛用している目覚まし時計の、アラームが鳴らなくなりました。






かれこれ20年は使ったでしょうか。

ベルのような音質のメロディが気に入り、購入を決めたことを覚えています。

ただの電子的な音で目覚めるのが味気ないと思っていたので、この目覚まし時計との出会いはとても印象に残るものでした。





あれから随分月日が経ったのだなあと思うと、とても感慨深いものがあります^^






アラームをセットし忘れて寝坊したり、起こされて止めようと手を伸ばしたら落として電池が飛び出したり。

ここ数年、アラームの調子が良くないなあと思っていましたが、ついに、もう声を上げて僕を起こしてくれることはなくなったようです。







本当にありがとう。











破草鞋


はそうあい



破れた草鞋(わらじ)のことです。はきふるしてちぎれてしまったわらじで、何の役にも立たぬことを言います。人間には履物が必要です。生きていく上には知識が必要です。ともに上等であり高等であることが望まれます。しかし、それらが、役に立たぬときもあるのです。靴も、知識も古くなると無用になりますが、新品でも役に立たぬときがあるのです。しかし、人生の真実がわかってくると、破草鞋をもう一度拾いあげます。昔の禅者は破草鞋をきれいに洗って刻んで、壁の下地に使っています。あるいは、そのまま堆肥にしています。高度の知識を目立たぬように自分の心の壁の下地にしたり、人間らしい生き方をするための堆肥に詰める知恵の大切さを示されたのです。

⚫︎出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)







人も、モノも、古くなります。

そして時間は戻りませんから、次々と新しいものが前から前からやってきます。




こういった禅の言葉を読むと、見切りをつけるときはしっかりと見切りをつけることが大事だなと思わされます。

執着しすぎず、固執しすぎず、常に受け入れる態勢と手離す態勢が巡るように整えておくことが、人の流れとしても良いのかなと思いました。







長年使っていたモノが機能しなくなくなったとき、あなたはどう対処しますか?








今日も良い一日を。
良螢








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