人を判断しているのはどの心かー明歴歴露堂堂


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。







あなたは人を好き嫌いでその人のことを判断していますか?






たとえば、嫌味ばかり言う人が近くにいたとして、なんだか気にくわないと思っているとします。

そのような人とはなるべく関わらないようにしますよね。

それは正しいと思います。僕もそうするでしょう。





ではその人がどこかの道端で、寄付を募っている人の持つ箱にお金を入れているのを目撃したとします。

そのときも嫌味な人だと思うかどうか、です。






作り話なので実際にそういうことがあるかは分かりません。

でも人間は普段見えている側面だけではなく、いろんな側面を持っています。

時には生い立ちや環境によって、キラキラと輝いた側面が隠されてしまっていることもあるかと思います。






そのキラキラした側面を見たとき、好き嫌いで判断するのではなく、素の心で見ることができるかどうか。

これができれば、自分を一段高めることになると、僕は思っています。

なぜならそのことの意識があるだけで、相手は”わかってもらえた”と心のどこかで感じ、それが今までにない人間関係の構築へとつながるからです。

今までと種類の違う人間関係、これこそ自分が高められた証拠に他なりません。










明歴歴露堂堂


めいれきれきろどうどう



「歴歴」はあきらかなようす。「露」は「あらわす」「あらわれる」の意味。晴れた空は青く、野辺には季節ごとに花が咲き、海は繰り返し波を寄せ、山々は何事にも動じずそこにあります。自然とは不変の真理そのものです。そして天地のすべてのものは、何も隠すことなく、あきらかに堂々と私たちの前にすがたをあらわしています。そのありのままのすがたが見えないのは、あなたが目をしっかり開けて見ようとしていないから。心の目が曇り、五官(感)が錆びついてしまっているのです。「見よ見よ、聞け聞け!」と禅師が喝破するのは、世界を目、耳、鼻、口、触覚の五官すべてで感得しろということ。ときには五官を総動員して「露堂堂」の世界からエネルギーをもらいましょう。

⚫︎出典
『禅の言葉』永井政之(永岡書店)











先進国の人間社会は、いわば装飾の世界になっている気がしています。

モノにあふれ、カネにまみれ、しかし、それらなくしては生きていけなくなっています。

本当は、もっと自然な心持ちで生きていたいと多くの人が思っているのではないでしょうか。

だから人は花に、鳥に、風に、月に、憧れを抱くのかもしれません。

それらはあまりにも自然のままですから。







あなたはありのままのことを、ありのままの心で見ることを、望みますか?








今日も良い一日を。
良螢






0 件のコメント :

コメントを投稿

[PR]