目先のことにこだわりすぎると・・・


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。

                                         






目先のことにこだわりすぎると、最終目的がぐらついてしまうことがあります。








たとえば麻婆豆腐とかなにか料理をつくるとします。

そのとき豆腐にばかりこだわってしまえば、当然のことながら最初から何も進みません。

どんな種類の豆腐がいいか、どのくらいの大きさに切ればいいか、といったことで悩んで全く進まないということですね。

さらに挽肉やら味付けやら火加減やら、盛り付ける食器まで、それぞれのところでこだわりすぎてしまえばなかなか麻婆豆腐に至らないことは容易に想像できるでしょう。

(たいてい実際にはそこまで考えないから麻婆豆腐は出来上がってしまいますけど)

最終的に大事なのは麻婆豆腐なわけで、さらに言えば、誰かと食事をするならその”時間”というものが本当の最終目的になります。






他にたとえば、僕はギターを弾くことがありますが(あまり上手くありません汗)、ギターでも同じようなことがあります。

「F」というコードがあるのですが、6本ある弦すべてを人差し指一本で押さえるという、初心者が最初に抱える難題があります。

サザンの曲なんかを弾いていって、Fコードでつまづき、出来ない出来ないとこだわるあまりに先へ進めず、そこでギターをあきらめてしまう人もいるのです。

出来ないなら後で練習をすればいいので、取りあえず先へ進み、一曲全部終わらせたほうが断然いいのです。

一曲弾く、というのがこの場合の最終目的ですから、ともかくも最後まで弾くことである程度の達成感もあり、自信にもなります。








人は目先の難題・課題にぶつかると、最終的な目的が意識の奥のほうへ引っ込んでしまいがちです。





なぜかというと、人はどうしても生物としての対処的な行動をしてしまうからだと思います。





目の前にヘビが出てきたら、わっと後ずさりしたり身構えたりしますよね。

熱いお茶が入った湯呑みを握ったら、熱い!とすぐ手を離しますよね。





目先のことに惑わされることは、人間の性質の宿命だと思います。

ですから、それを直そうとするのは虚しいものに終わる可能性が高いでしょう。






ということを考えると、最終目的のことをいかに意識にあげておくか、に考えを向けたほうが現実的ですし、メンタルも良い状態を保てるのではないかと思います。






こんなことを書いている僕自身、なかなか最終目的のことまで意識できないことが多いです。

習慣化しないとなかなか難しいことなのかもしれません。






ではどうするか。

紙に書く、ということがひとまず有効だと思います。

メモ帳でも手帳でもいいですが、最終目的を紙に書いておくのです。

これによって脳が明確に認識しますから、目先の難題・課題が現れても惑わされにくくなります。

紙に書いた最終目的のことが意識のどこかに残っているからです

これは、いろいろな本や専門家も話していますので有効な手段かと思います。








でも面白いですね。

脳は、その中だけで思考したことを定着化させるのは苦手で、一度外にアウトプットしたもの(書いたり話したりすること)を好んで認識するのですから^^









あなたがいま行っている”それ”は、最終的にはどういう目的のためですか?







今日も良い一日を。
良螢







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