バランスを取りながら進むには目線をどこに置く?


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。







あなたは、平均台の上を歩いているとします。レールの上でもいいかもしれません。

そのとき、足元を見ながら進むのと、前を向いて少し遠くのほうを見ながら進むのとでは、どちらがバランスを取れそうですか?



あるいは、玉乗りをしているとします。(出来る出来ないは置いておいて)

そのとき、足元と遠くとどちらを見るのがバランスを取れそうですか?




これは人によって違うかもしれません。

足元を気にして常に確認していたほうがバランスを取れるという人もいれば、前を向いて遠くを見るほうがいいという人もいるでしょう。





ですので明確な答えはありません。

ただ一般的には、前を向いてやや遠めを見たほうがバランスは取れるようです。

目線は水平感覚もつかさどります。

目をつぶって片足で立つとぐらぐらしてしまう、あれです^^

前を向いているほうが、今の自分の水平状態、傾き加減がわかるということですね。






平均台もレールも玉乗りも、その場でバランスを取るだけなら足元を見ていていいかもしれません。

でも、前に進むことをしようとした場合、下を向いていてはなかなか進めないだろうことは想像できます。

バランスを取りながら”前に進む”、ということを考えた場合、やはり視線を前に向けてやや遠くを見るのが良さそうです。










さて、僕は個人として「百年残るモノを創る」という人生テーマを掲げています。

もし百年残るモノを創れたら、僕が生きた証にできるのではないか、とひどく内向的ともとれる動機から設定した覚えがあります。





でもそのお蔭で遠い視線を持つことができ、心のバランスを保ちながらここまで進んで来れました。

収入が厳しかったり、思ったほど才能を活かせなかったり、孤独感にさいなまれたり、いくつもの困難と苦悩が立ちはだかりました。

しかし「百年残るモノを創る」という遠く大きな目標を持ったお蔭で、目の前に現れる小さな困難(小さくはないですが小さいと思うことができるのです)もいい意味でスルー出来ました。






百年残るモノってなんでしょう?





僕はまず「歌」に入っていきました。

民謡でも歌謡曲でも百年残っている歌、あるいは残りそうな歌はたくさんあります。

歌詞とメロディーが両翼となって、世代を超えて人の心に飛び続ける、どこまでも遠くへ飛んでいける、と夢想しました。



次に墨の世界に魅了され始めました。

書や水墨画は百年どころか千年以上残っているモノもあります。

墨で書いたモノは百年残すことが物理的には可能なのです。

でも本当に残すとしたら、やはり人の心がつなげないと残りません。(例えば作品をすぐ捨てられたりでもしたら残らないですよね)





歌詞も墨もどちらも「人の心」がキーになっているのです。

そういうこともあって人の心を豊かにしていくことも、もしかしたら僕のテーマになるのだろうと思いました。

そして2015年、詩的人財社として「百年残るモノとヒトを創る」と「ヒト」を加えたのです。








自分のことが長くなりました。









あなたが今もし、バランスが取れていないな、ぐらぐらしているな、と思ったら、一度大きめのテーマ、遠めの目標を設定してみてはいかがでしょうか。

「そんなの思いつかない」というなら、”消去法”を試してみてください。

これはやりたくないな、ということをどんどん消していき、残ったものの中にあなたのテーマが隠れている可能性があります。

いいかもしれない!と思ったら試してみてください^^







ところで、あなたにとって「百年残るモノ」「百年残りそうなモノ」のイメージはなんですか?

もし良ければ教えてください。

僕もきっと興味があるはずで、きっと調べてしまうと思います。調べたらご報告もします!








今日も良い一日を。
良螢








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