忙しさに追われてしまう日常からの脱出ー滅却心頭火自涼


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。







あなたの日常は、忙しさに追われていますか?




もしそうなら、それはどんな忙しさでしょうか?




仕事は山積みで、どれから手をつけていいかわからないような忙しさ?

家のことでやることがたくさんあって、それによって時間が圧迫されるような忙しさ?

そして、「忙しい、忙しい」というのが口癖になってはいないでしょうか?







少し逆説的になりますが、忙しいということは、本当は恵まれたことだと僕は思います。

もし何もやることのない日常だったら、数日のうちはいいのでしょうけど、そのうち何もないことが苦痛になってきます。

まずはそのことを言っておきたいと思います






それを踏まえ、忙しすぎるというのが問題なのだと思います。

一日の時間は24時間と決まっていますし、忙しいことでその時間が少なくなると、自分の成長のための時間が足りなくなってしまいます。

そうした自分への時間の不足から、さらに焦る心を生み出します。






でも、本当に実質的に忙しいのかどうかは検証する必要はあると思います。

もしかしたら、効率の悪いやり方で仕事を進めていたり、家のことも一度になんでもかんでもまとめてやろうとすると逆に非効率の場合もあります。






「忙しい、忙しい」が口癖の方には、まずは自分の時間の使い方を検証してみることをオススメします。

書き出してみると、案外自分では気づかない時間の使い方をしていることに気づいたりします。

そして、気持ち的には、忙しいと思わないことも大事かと思います。

脳がそのように認識してしまいますので、余計に忙しい感覚を招く恐れがあります。






忙しさを忙しいと感じず、淡々とこなしていく。

さらに時間の検証で無駄な時間を削り、大事なことに多く時間を使うようにする。





こういった意識が忙しさから脱却する手がかりになる考えています。













滅却心頭火自涼


しんとうをめっきゃくすればひおのずからすずし





甲斐(山梨県)の恵林寺(えりんじ)が、織田信長の軍に焼かれたとき、快川(かいせん)国師が山門楼上で唱えて、静かに火中に身を投じたことで、この句は知られています。苦悩から逃避するだけでは解決にはなりません。進んで苦悩に同化するのです。たとえば、寒暑は実在するが、それを苦楽のどちらかに決するのは自分の側にあります。氷点下の雪原でスキーに夢中になったり、炎熱の球場で野球に熱中しているときは、寒暑を意識しながら苦悩と感じないのが好い例です。こうした相対的認識(心)を、対するものに同化して昇華することです。すると暑いがままに暑くない、悲しいがままに悲しくないこころが開発されます。火自ら涼しの「自ら」がたいせつです。火を冷たく感じたら異常神経で、禅にはそうした奇蹟はありません。暑いがままに、暑さにふりまわされぬ、同化しつくすこころ、この意味で「無心」ともいえます。

●出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)












この言葉はよく聞きますよね。

火を、熱いとも熱くないとも思わない、そういう熱いとか熱くないという意識の執着を取り払うのだ、というふうに僕は認識します。

これを忙しさに当てはめると、忙しいとも忙しくないとも思わない、ということになります。





ただ、急にそういうふうに意識をしましょうといっても、なかなか出来ることではありません。

なので、やはりまずは自分の一日の時間を検証してみるのがいいと思います。

そしてやるべきことが洗い出せれば、あとは優先順を決めて淡々とこなしていく。

そうすれば、忙しさは確かに存在しますが、忙しいという”意識”はきっと薄らいでいくはずです。








今日も良い一日を。
良螢






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