いつも心に余裕と微笑みをー誰家無明月清風


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。









心の余裕はどこからくるのでしょうか?








つらいとき、悲しいとき、トラブルが起こったとき、気持ちがいっぱいいっぱいなとき。



そのようなときでも、余裕のある振る舞いが出来る人になりたいと思いますよね。





いったいどうすれば心に余裕を持つことが出来るのでしょうか。







一番手っ取り早いのは、”鈍感”になることかもしれません。

これは冗談で言っているのではなく、”あえて鈍感になる”ということです。




鈍感の反対を考えてみましょう。

鈍感の反対は、敏感または過敏ですね。





心に余裕がないというのは、ニュアンス的に”敏感”よりも”過敏”が近い状態だと思います。

過敏になると、あれもこれも反応してしまい、心が定まりません。






気にはなるけど、反応はしない。

これがあえて鈍感になるということだと思います





子どもが走っていて転んでしまったとしても、過敏な反応はせず自分で立ち上がるのを見守る、ということに近いかもしれません。




いかに、過敏な反応をおさえるか。

これもやはり自覚に尽きると思います。

「あ、いま過敏に反応してしまっているな。」「少し鈍感になっているくらいが丁度良いかな。」

そんなふうに自分で気づけたら、そのときはすでに心に余裕が生まれていることでしょう。













誰家無明月清風


たがいえにか めいげつせいふうなからん







どのような貧家にでも明月は宿るし、清風は吹くということを言います。つまり、いかに罪が深くとも、学問も地位もなくとも、ほとけのいのち──純粋な人間性を持たぬ者は一人もいないことを示します。この明月清風を宿しながら、それに気づかないのを「心の貧しさ」と言います。誰かの句に「梅が香や 乞食の家も覗かるる」とあります。たとい乞食の家であっても、一枝の梅が、空き瓶にでもさしておいてあったら、誰もが覗くのです。貧しいままに豊かな価値を感ずるのは、この「梅が香」があるからです。人間の尊厳なるゆえんも、すべての人にみな、ほとけのいのちがあるからです。

●出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)

















心に余裕が生まれれば、梅の花の香りにもきっと気づくことでしょう。




どんな状況であっても、「まあ、まあ、」と微笑んで言えるくらいになりたいと個人的に
思っています。

「そんなこともあるよね」と。



人生には絶対ということはありません。

予期せぬ事態が次々と起こります。

そんなときでも、梅の花の香りを楽しめる人間でありたいです。









今日も良い一日を。
良螢









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