世の中自分の思い通りにならない、ならどうするか - 一切唯心造


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。








あなたが今日見た空はどんな様子だったでしょうか?

気持ちいいくらいの快晴でしょうか?

どんよりとした灰色の雲が広がる空でしょうか?

それとも、空を見る余裕もなく家を飛び出したでしょうか?








その日の空の様子によって、一日の気分が左右されることもあります。

例えば雨の日などは、気持ちも滅入ることがあるでしょう。







僕の場合は、雨でも嬉しいことがほとんどです。

なぜかというと、雨は乾いた大地を潤してくれますし、なにか風情がいいなあと思ったりするのです。





これは、心の持ちようであって、受け取り方をどうにでも変えることが出来る、ということです。

他人がどんなに「雨って憂鬱だよね」と言おうが、自分の中で「いい風情だから好きだ」と思えば、まったく憂鬱になんかなりません。

(会話の流れで表面上では「そうだね」と同意することもあると思いますが)






自分の心の中なのですから、自分の思い通りにすることが出来るはずなのです。

禅にも、そのような言葉があります。













一切唯心造


いっさいゆいしんぞう




私たちの周囲のあらゆる存在や現象は「心」の働きであり、すべては「心」がつくりだしたものにすぎないという意味です。西洋哲学にも「唯心論」があり、心を「脳」に置きかえて同じようなことを言っている学者もいます。仏教では「世界は心がつくりだすもの」として、心が濁っていればどんなに美しいものも濁って映り、清い世界は清い心にしかあらわれないと言い切ります。地獄も極楽も私たちの心の中にあり、心がつくりだすものにほかなりません。すべてはあなたの心のあらわれ。だからこそ心を清く保つことです。

●出典
『禅の言葉』永井政之(永岡書店)












僕が20代半ばのころ、次のように思ったことがあります。






「自分が死んだら、世界は消滅する。」






世の中を見て感じて認識し判断するのは、すべて自分の中で起こっている、と気づいたのです。



熱い味噌汁にくちをつけて、「熱いっ」とくちを離す。


これは誰がそうしているのでしょうか?

自分であり、他人ではありません。

他人には僕の「熱いっ」という姿は見れて共感できますが、”感覚”を感じることは出来ないのです。





「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画・ドラマがありました。

まさに、自分が世界の中心なのです。

自分が変われば世界も変わります。

雨を「いい雨だ」に変えれば、雨が降っている中にいる自分の世界(見え方)が変わりますよね。





自分が世界の中心だと考えるようになってから、自分を大切にしようと思うようになりました。

そして、自分を大切にするためには、周囲の人も大切にしないといけないと思うようにもなりました。

周囲の人がいるから自分が成り立っているから、自分を大切にしようと思ったら、周囲の人も大切にする必要があります。





結局自己中か、というふうにも捉えられるかもしれません。

そうです、自己中です。

と言ってもいいくらいです^^

自分がしっかりしていないと、周囲の人にも何もしてあげられませんから。







ということで、今日はこの辺で。









今日も良い一日を。
良螢







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