しおれるのは自分で自分に栄養を与えていないから―知足


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。








あなたはどうなれば満足したと思えますか?







お腹いっぱい美味しいものを食べた時。

これはもう満足でいっぱいですね^^







仕事ではどうでしょう?プライベートでは?自分の人生の目標では?






頑張り屋のあなたなら、ひとつふたつ仕事が成功したところで、全然満足感を得られていないかもしれませんね。

ひとつふたつ、プライベートでも人生目標でも小さく達成したところで・・・、と。








これはすごく向上心が伺え、素晴らしいことだと思います。

一流のスポーツ選手も、「満足したらそこで終わりだ」のような発言をしますよね。

満足してしまうと、それ以上努力することをしなくなり、成長が止まってしまうからです。







ただし、注意することがあると思っています。

満足感を得ていない状態が続くと、自分を低く見てしまう恐れがあるということです。

「こんなことも出来ないのか」 「なんて自分はダメなんだ」 といったように、自分を攻撃し始めます。

目標設定は遠く、大きなほうがいいと思いますが、小さな達成感・小さな満足感をポイントポイントでご褒美のように自分に与えてあげることも重要ではないかと思います。






次に挙げる禅の言葉は、一見して「高い望みは持つな、ほどほどに満足しましょう」のように聞こえるかもしれませんが、そうではないと思います。

僕の所感を最後に述べていますので、よろしければ最後まで目を通して頂ければと思います。













知足


たることをしる




釈尊が亡くなるときの最後の説法『遺教経』で「八大人覚(はちだいにんかく)」ということを説かれました。少欲(多くの利を求めない)・寂静(静かな処に住す)・精進(進んで努力して退かない)・不忘念(法を守り忘れない)・禅定(心を乱さない)・修知慧(智恵を修める)・認識(正しく考える)の七つに「知足」を加えます。「知足─足ることを知る」とは「すでに得たものでも、これを受けるには分限を知れ」ということです。経団連元会長の故石坂泰三氏は「『満足しているものは、最も富めるものである』のことばがすきだ」と言います。この言は、古人の「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪る者は、身富めども心貧し」をふまえて座右の銘とされたものと思われます。

●出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)













なにかひとつ目標に到達しました。

でも自分が思い描いている所までは全然及んでいない。

まったく満足感を得られていない。

という状況にあったとします。





このとき、ある一定の満足感を自分に与えるべきだと僕は思います。

現時点での自分にとっては充分な結果を得られたのではないか、と考えるものです。

今の自分の立ち位置や環境、身につけている知識から考えたとき、よくやったじゃないか、と。

ひとまずそこまでについては”良し”としようではないか、”満足”しようではないか、と。






あなたはあなた自身に時に栄養を与えて成長を促すべきです。

そのことによって充実した”気”が心身に籠められ、次の困難へと立ち向かえるのです。

(栄養を与え過ぎるとこれまた根を腐らせる原因になりますのでご注意くださいね)





「知足」という言葉にはそのような意味があると思っています。

これは僕の見解なので、本来の意味とは違っているかもしれません。その場合は申し訳ないです。

でも答えはひとつではなく、各人が出すべきものでもあると思います。

それにしても小学校で習う漢字二文字ですが、深くて難しいですね^^;










最後までお読みくださり、ありがとうございます。










今日も良い一日を。
良螢








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