小さな幸せを見つけるための方法のひとつ


今日のご機嫌はいかがでしょうか?
こんにちは、良螢です。




天気が良い日は心も軽くなりますね^^

素直にそう思えるのは、なんとも有難いことです。

それなのに。





どうしていつも自分だけ運が悪いんだろう・・・

自分は幸せにはなれないと思う・・・




いくら天気が良くても、あなたはこんなふうに思ったりしていませんか?

僕はこんなことを考えてしまう時期が続いたことがありました。

こういった自分を卑下する思考は、負のスパイラルを呼び込んでしまって、抜け出せなくなってしまいます。

何の根拠もない、この負の思考はどこからくるのか?

けっこう深いところに根付いている可能性があるので、一朝一夕では解決できないかもしれません・・・。



それでも、対処療法的ではありますが僕がそういった思考を都度振り払ってきた方法がありますので、今日はそれを書こうと思います。





その方法はズバリ、究極の状況を想像することです。




たとえば運がないと思っているとき、

仕事でミスをした、ついてない・・・。でも、もしミスをしていなければこの先もっと重大なミスをすることになったかも。→きっと、運がいい?

どしゃ降りに見舞われた、ついてない・・・。でも、もし晴れていたらどこかで事故に遭っていたかも。→きっと、運がいい?


たとえば幸せじゃないと思うとき、

職につけず食べることさえままならない国がある中で、いま自分は質素ながらも食べていけている。→あれ、これって幸せ?

生まれ落ちて暮らしている場所が内戦中の国ではなく平和な日本である。→あれ、これって幸せ?


究極の度合いが少々薄いかもしれませんが、まあ、たとえばの話です。



人はなんだかんだで比較しながら生きていると思うのです。

今いるところよりもひどい状況がある、それに比べれば今は有難い状況にいるんじゃないか?

と思えれば、決してマイナスな場所にはいないんだ、むしろプラスなところにいるじゃないか、と勇気が湧いてくるものです。

ほんの少しの勇気かもしれませんが、それが積み重なれば負のスパイラルを抜け出すきっかけになると思っています。





そしてこの、究極な状況を想像するということは、実は”小さな幸せに気づける”ことにも繋がります。

自分が無人島にいることを想像したら、今となりに人がいるだけでも幸せと思える。たとえ反りが合わない人だとしても、話を交わせる人がいるということのなんと有難いことか。

一年中砂漠に暮らすことを想像したら、ジトジト降る雨や春を待つ間の寒さのなんと有難いことか。

味気ない灰色の道路を歩いているときに、ふと目に入る椿の花の彩りのなんと有難いことか。

究極な状況と対比されて、普段気づかなかった小さな幸せが鮮やかに浮き出てくるのです。





小さな幸せをどんどん蓄えていって、たくさんの幸せに囲まれましょう。

それによって負の思考のスパイラルから抜け出す足がかりになるかもしれません。

究極の状況を想像するという方法が、その手助けになれば幸いに思います^^






今日も良い一日を。
良螢

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