今日の気分の調子はいかがでしょうか?
詩的メンタルバランサー、良螢です。
挨拶したのに返してこない。
ゴミを片付けてあげたのに誰も何も言わない。
ホメてあげたのにお礼のひと言もない。
善いことをしたとき、つい見返りを求めてしまうことはないでしょうか。
昨今では現金化主義のような風潮があるように思えます。それが純粋な善行にさえも付属してしまっている気がします。
本来なら、自分がしたいと思って挨拶をし、自分がしたいと思って掃除をし、自分がしたいと思ってホメます。
それなのに現金化主義と混同が起こっているのか、ときに相応の見返りや報酬を求めてしまっているのかもしれません。
無功徳
むくどく
功徳ほしさにするなら、どんな善行でも役に立ちません。禅は、めだつこと・きわだつことを戒めます。人知れずこっそり善行を積むのです。誰がしたということが判明したら、もう帳消しだと言われるのです。ほめられよう、ニューズに出されようとの物欲しさの心が、せっかくの善行をマイナスにするのです。ただ無心に、黙々と善事を重ねる深いこころの開発が待たれます。(註:功徳・・善行のこと)
●出典
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)
禅では、善行をこのように捉えているようです。
でも、僕のような凡人にはなかなか真似できるものではありません。。
どこかに見返りや報酬を期待してしまう自分がいるのです。
ただ、こういった言葉に触れることで、自問自答をする余地が出ます。
「この行為は純粋な気持ちからだろうか?」「見返りや報酬を求めてはいないか?」と。
もちろん、この自問自答が出た時点で既に”無功徳”とは遠いところにいます。
でも、これを繰り返し繰り返し行っていけば、やがて無意識な善行をひとつ、ふたつ行っている自分がいることに気がつきます。
そういえば、この”無功徳”の考え方は、ギブ・アンド・ギブの考えにも似ていますね。
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あなたはどんな善行をしていますか?
今日も良い一日を。
良螢