一緒にお茶を飲むひとは、どんなひと?―喫茶去


今日の気分の調子はいかがでしょうか?
詩的メンタルバランサー、良螢です。




あなたはお茶やコーヒー、紅茶などを飲みますか?

そりゃあ、飲みますよね^^

くつろぎたいときや時間が空いたとき、ゆったりした時を過ごせます。



それはお一人ですか?誰かと一緒ですか?

そりゃあ、一人の時もあれば誰かと一緒のときもありますよね^^

一人の時はいいとして、誰かと一緒のときというのは、人と接する分だけエネルギーが必要になります。



親しい友人同士なら気を遣う必要はないのでしょうけど、目上の人や年下の人、まだ良く知らない人やちょっと苦手だなと思うような人。

そんな人たちとのお茶の時間は、時間が長く感じたりします。もっといえば早くこの時間を終わらせたい、なんて思うことがあるかもしれません。



そういう場合、やはり相手の方に影響を受けてしまう自分がそこにいます。

それはつまり、相手と自分との関係性を常に感じながらやり取りするために疲れてしまう、ということかもしれません。








喫茶去

きっさこ



趙州(じょうしゅう)和尚は、新米の修行僧にも位の高い僧にも同じように「喫茶去(まあ、お茶でも召し上がれ)」と語りかけたという。まずはいろいろな執着を捨て、利害や相手の地位・賢愚を超えて、分けへだてなく相対することの大切さが込められています。日々の暮らしでも相手によって態度を変えたりすることなく、いつも泰然として平常の心でありたいものです。

註)趙州和尚・・唐代の禅僧

●出典

『禅の言葉』永井政之(永岡書店)






分けへだてなく接するということは、とても難しいことだと思います。

特に目上の人に対しては、ややもすれば横柄な態度に見られてしまってもよろしくないですしね。



でも、”あること”を意識すれば恐らくこの「喫茶去」のような振る舞いに近づけると思います。

それは、







常に謙虚でいる。






ということです。

そうすれば、年上だろうと年下だろうと、偉い人だろうと気難しい人であろうと、一定の態度で接することが出来るはずです。

謙虚というのは、自分がその人から学ばせてもらうような姿勢ですから、それを横柄と思う人はいないでしょう。

年下からだって、学ぶことはたくさんあるはずです。ですから、どんな人にでも謙虚の姿勢を持つということは充分可能だと考えています。





とはいえ、慣れるまでは”謙虚でいること”で気疲れしてしまうかもしれませんが^^;

でも慣れれば逆にそちらのほうが気持ちが楽になれるのではないかと思います。







今日も良い一日を。
良螢

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