影がマイナスのものだと思ったら大間違い


今日のご機嫌はいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。




影踏みをしたことがあるでしょうか?



地域によってルールが違うのかもしれませんが、僕は影を踏まれたら鬼になるという鬼ごっこ形式で友だちと遊んでいました。






光があれば影ができる、ということで、「光と影」論のような話しが巷にはあふれていますね。

影は大抵の場合マイナスイメージで捉えられることが多いと思います。





でも、本当にそうでしょうか?




ここで、漢字が「影」であることがポイントかと思います。「陰」ではありません。

「影」は形があります。

自分の影もそうですし、「影武者」などという言葉もありますね。




「陰」という漢字は、日陰や木陰、陰と陽などのように実態を指してはいません。

そしてマイナスイメージをもつのは主にこちらの「陰」のほうが先行していると思われます。

実態を持たないがゆえに、イメージを思考に貼り付けやすくなります。「ジメジメしている」「暗い」「怖い」といった言葉を簡単にくっつけられます。

この「陰」の影響があるために、「影」がマイナスイメージを持ってしまうのだと思います。







さて、その”影”ですが、まったくマイナスでも暗いものでもジメジメしたものでもありません。

なぜなら、前述したとおり影は形だからです。

光が当たって、その形どおりに出来るのが影です。

たとえば日光に照らされてできる自分の影は、いまの自分そのものを映し出しているのです。





ちょっとここで、光を考えてみましょう。

光はなんでしょうか?



光は明るいものです。

明るいというのは、人を安心させますし、楽しい気持ちにもさせてくれます。



でも、光は実態をもっていません。



光を強く追い求めたとしても、結局は”見る”こともできず、掴むこともできず、手にしたと思ってもそれは”虚無”です。

芸能界という華々しい世界がそのように例えられることが多いと思います。

そのため、光が強すぎることを僕は忌避(きひ)しています。

ちなみに光は絶対に必要なものです。でも”強すぎる”ことが問題だと思っています。日が強すぎれば干ばつが起こるように。







光で前途を照らし、影で現実を見る。




もしこんな言葉が言い得ているなら、影は決してマイナスイメージではないのです。

現実の自分を確認しながら、より良い未来に向かって憧れの光を照らし、進んでいけたら素晴らしいと思います。









今日はずいぶん抽象的な話になってしまいました^^;

あなたの足元にできた影は、あなた自身の形です。

たまに自分自身と会話をしてみるのも、良いかもしれませんね。









今日も良い一日を。
良螢

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