どうして困難に直面するのだろうー鳥啼山更幽


今日のメンタルバランスはいかがでしょうか。
詩的人の、良螢です。








あなたは今、なにかの困難に直面しているでしょうか?






まったく、困難はどうして、何の目的で僕たちに襲いかかってくるのでしょう。




困難には小さいものから大きなものまであると思います。

小さなものなら、わりと気軽に人に相談できるでしょうし、リフレッシュや参考になる本を読むなどしてすぐに気持ちの切り替えができるかもしれません。

しかし大きな困難になると、下手をすると誰にも相談できなかったり、絶望的な気持ちになってますます気持ちが沈んでしまうことがあります。






人間の一生というのは、大小の困難がつきまとっていくものだと僕は思います。






なぜそう思えるかというと、人間はときに体調を崩すからです。

風邪やインフルエンザにかかったり、おなかをこわしたりします。

それはひとつの困難です。

どんなに順風満帆な人であっても、少なからず風邪やおなかをこわすといった困難はつきまとうのです。





ということは、やはり人と困難とは切っても切り離せない関係だと言えると思います。






人は、困難とうまく付き合っていかなければいけないと思います。

逃げようとしても、風邪をひいたりおなかをこわすことから逃れられません。

人生や仕事や家庭の困難も、逃げようとしても付きまとってくるのです。

しかも、逃げれば逃げるほど追いかけてきます。

>>以前の記事「環境の変化から背中を見せて逃げるとやられる、という説」







ただ、その困難を、困難と思うかどうかはあなた次第です。

風邪をひいたとき、「なぜこんなときに!ひどい日だ!」と考えるか、「ああ、今は休めと身体が言ってるんだな」、と考えかはあなた次第です。

おなかをこわしたとき、「あのお店の食材のせいだ!」と思うか、「おっ、ちゃんとおなかが悪いものを排除しようとしてくれているな」、と思うかもあなた次第です。

これはどんな困難でも言えることだと思います。

困難を、ただ困難だと言うのではなく、別の視点に転換することが出来れば、メンタルのバランスや、自分の成長のための養分にもなり得ると考えています。














鳥啼山更幽


とりないてやまさらにしずかなり





山中で、鳥がひと声鳴いて去ったあとにいっそう深まる静寂感をあらわした句です。では、ちょっと目をつむって春の深山の情景を思い描いてください。紅色の桃の花が咲き、柳は緑です。鳥の声さえ聞こえない静けさと、鳥がひと声鳴いたあとの静けさ、どちらがより深い静寂感を感じられるでしょうか?私たちがよりいっそう人間らしく成長していくには、平穏で楽しい日々だけでなく苦しみも必要です。人生に必ず出会う困難や悲しみ、それが私たちの人生にとっての鳥の声です。苦しみもあなたという人間を深めてくれるものだということを、忘れずにいてください。

●出典
『禅の言葉』永井政之(永岡書店)











この手の話でよく、マンガやゲームの主人公の話を引き合いに出されます。

主人公は、最初は弱くて何も出来ないですが、困難を乗り越えていくことで自分を成長させていきます。



でもこれはマンガやゲームだけの世界ではなく、現実の人間も同じだと思います。

いま成功している実業家やスポーツ選手も、幾多の困難と直面し、その都度逃げずに乗り越えてきているからその位置にいます。





神様は自分に乗り越えられない壁は与えない




ということを聞きますが、その通りのような気がします。

だとすると、困難というのは、きついながらもむしろ将来を楽しみながら乗り越えていくべきではないかと思えてしまいます。










今日も良い一日を。
良螢








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