学びの場はすでに身の回りにある―歩歩是道場


今日の気分の調子はいかがでしょうか?
詩的メンタルバランサー、良螢です。




本当は学びたいことがたくさんあるのに、忙しくてなかなか時間がつくれない・・・。




そんなふうに思ってはいないでしょうか?

英会話に行きたい、習い事をしたい、あれもしたい、これもしたい。

なのに仕事や家の事情、もしくは意志の弱さなどに阻まれて何も出来ない日々。

なんとかしたいのに、なにもできない歯がゆさは、気持ちを波立たせてしまいますよね。






禅では学びについて、このような教えがあります。









歩歩是道場

ほぼこれどうじょう




道場は梵語の訳語です。日本では、禅者が修行する場所を言い、ひろく学道を修するところを指すようになりました。歩歩是道場は、私たちの一歩一歩、言動の一つ一つがみな修行であり、真理のどまん中で生活している―ということになります。私たちは理想や夢を持ちすぎるあまり、現実から足が浮き上がってしまいます。足を地につけて、一歩一歩、人生道場を歩けば、いつどこでも真実を見つけることができます。

●出典

『禅語百選』松原泰道(祥伝社)






少し分かりづらいかもしれませんが、その一歩自体が学びであるならば、どんなことでも学びと捉えることが出来る、ということだと僕は解釈します。



通勤時間にSNSをチェックするなら、例えば外国人のSNSをチェックすることで少しでも英会話に役立てることが出来るかもしれません。

本をよく読むのであれば、興味のある習い事の本も合わせて読むことで、通える時期がくるまでの予習となるかもしれません。

また自分がしたいと思うこと以外にも、事務のお仕事をされているのであれば、普段あまり考えることのなかった数字を追うことで別の仕事の見え方が出来るかもしれません。接客のお仕事をされているのであれば、お客さま一人ひとりの対応時に何か学べることがあるかもしれません。





その時、その時、”自分が学ぼうと意識したときから、そこを道場にすることができる”のです。







せっかくこの世に生れたからには、日々少しでも成長したい、と僕は思います。

そして自分の意思で行う学びは前向きにさせてくれます。

もし、一歩一歩が学びだとするならば、いつでもどこでも前向きに考えることができる人になれる、ということです。






まあ、実際にその踏み出した一歩をどう学びにするかなんていうのは禅の修行者に任せることにして、僕たちは目の前の仕事を学びに変えれたら、それだけでもいい日々を過ごせるのではないでしょうか。

そして嫌だと思うことほど、学びに転換できれば、目に映る世界はこれまでの後ろ向きとは別の新しい景色になるのだと思います。







あなたの周りに、学びへと変えられるものはありますか?







今日も良い一日を。
良螢

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