禅の言葉ー掬水月在手



いかがお過ごしですか?
あなたの詩的メンタルバランサー、良螢です。





今回も禅の言葉を紹介します♪

あ、ちなみに僕は禅僧でもなんでもありません(^^; 実家の菩提寺が禅宗の曹洞宗というくらいです。






禅の言葉は、メンタルバランスを整える上でも高める上でも、大変有効に思っているので積極的に取り上げています。

また、詩としても多く残されていることから、僕自身も勉強になるために今後も取り上げ続けます!








前回は「両忘」という禅の言葉を紹介しました。

今回は「掬水月在手」です。それではどうぞ。











掬水月在手


みずをきくすればつきてにあり





道はすべての人に開かれています。月の輝く夜、水を両の手ですくいとってみれば、その水面に必ずツキは姿を映し、キラキラ輝くはずです。自分とはかけ離れた、遠くにある美しいものとして月を見ているだけでは、それに気づくことができません。「水を掬(きく)する(手ですくう)」という、あなた自身の働きかけ(禅においては修行)があってはじめて、月はあなたの心に入り、自分のものとして感じることができるのです。

●参考

『ふっと心がかるくなる禅の言葉』永井政之(永岡書店)
『禅語百選』松原泰道(祥伝社)






<良螢の解釈>
『チャンスは誰もが手にしている』
多くの人は「自分なんて・・・」と自らを卑下し、何もせず、人をうらやんだり人に流されることで留まってしまう。しかしチャンスは誰にでも存在し、自らの働きかけによって見過ごしていたチャンスが現れ出てくる。そしてそれは大抵の場合、その時ではなく後で思い返したときに「あぁ、このことか!」と思い当たるものだ。例えば会社の会議などで、普段発言などしない自分が思い切って意見を発信し、半年後にそれが廻り回ってトップを動かすことになり、指名されて好きな業務に携われることになった。という事象は十分に起こり得ることである。










さて、だいぶ掲載の形が見えてきました。

参考図書と、それを元にした僕なりの解釈を併記して書いていこうと思います。

ひとつの解釈にもけっこう時間がかかってしまうので大変ではありますが、頑張ってみます!^^





ただ、僕の解釈は間違いや勘違いを多分に含んでいる場合があるかもしれません。

その際は、ご指摘や別のご見解を教えて頂ければ嬉しく思います^^










今日も良い一日を。
良螢

[PR]