いかがお過ごしですか?
あなたの詩的ゴコロを引き出す、良螢です。
ストレスが渦巻く環境の中でも自分の精神状態を保ち、前向きに活き活きと過ごせる可能性があるメソッドとして、3つのことを提唱するお話しをしています。
1.自覚すること (←クリックできます)
2.面白がること (←クリックできます)
3.ちゃんとやり過ぎないこと
今回は3つ目の
3.ちゃんとやり過ぎないこと
についてになります。
これは、もしかしたら少し誤解を生んでしまう考え方かもしれません。(もっと良い表現がないかは今後の課題です)
「ちゃんとやりなさい」
「ちゃんとしなさい」
と、たいていの人は子どもの頃に親から言われたことがあるのではないでしょうか。
それは、正しいです。
ちゃんとやる、ちゃんとする、というのは結果的に人からの信頼を得られます。「この人なら信頼できる」と思われることは、人間社会においては何よりも勝るアドバンテージになるでしょう。
人は、人と関わって暮らしていくのが普通なのですが、そのため人との信頼関係が人生の豊かさに深く影響してきます。
ところが、日本人の民族性によるものか、「ちゃんとする」ことを自分の人生最期の仕事のように全部背負ってしまう方が大変多いように見受けられます。
かつて僕もその類(たぐい)の人間でした。
しかしそれは余裕をなくし、何かが加わればさらに背負い込むことになり、雪だるま式に精神的・肉体的圧迫が加えられていくことになります。
哀しいことに、たいていはそれを自覚できずに過ごしてしまいます。なんとなく自覚しているつもりだけでは、状況把握と改善策を見出だせません。
手を抜くところは手を抜き、押さえるところは押さえる、ということを最初から出来ている人もたくさんいますが、本当に羨(うらや)ましく思っていました笑
今は、難しい社会ですね。
普段ちゃんとやり過ぎるくらいちゃんとやっても、その人の評価は結果でしか判断されないことが多くなってしまいました。
いくらちゃんとやっても報われない虚しさが、ここで当てはまる人のことをいっそう追い込んでしまう現状があります。
それでも、こういう世の中ではいけないと、少しずつ変わってきている気配はあります。僕たち自身でこれからの社会をいい方向につくっていけると僕は信じています。
さて、今回のテーマの結論に迫りたいたいと思います。
ちゃんとやれるのであれば、それに越したことはない。でもちゃんとやり過ぎて自分のパフォーマンスが落ちるくらいなら、ちゃんとやり過ぎないくらいが丁度いい。
大丈夫、ちゃんとやり過ぎなくても、死んでしまうことはありません。
余談になるかもしれませんが、ちゃんとやり過ぎないというのは、芸術的にも詩的にも当てはまることがあります。
白と黒の省略化された芸術が水墨画であり、「描き過ぎない芸術」とも言えそうです。
詩的のほうでいえば、「正午過ぎの夏の海水浴場の海が太陽の光を反射してキラキラ輝いていた」と言うよりは「夏の海水浴場 海と太陽がまぶしい」などのように言い過ぎないほうが人の想像をかきたてる可能性が出ます。
今日も良い一日を。
良螢